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2025.05.24

ずっと真夜中でいいのに。 『YAKI YAKI YANKEE TOUR 続「名巧は愚なるが如し」』 オフィシャルライブレポート

 

 ずっと真夜中でいいのに。の最新アリーナツアー『YAKI YAKI YANKEE TOUR 続「名巧は愚なるが如し」』の時代設定は1970年、コンセプトは太陽のウラでの"永遠深夜万博"。これまでもコンビニやゲームセンターや昭和歌謡が流れる喫茶店や本格中華喫茶など、現代の日本から時間も空間も遊離した虚構の世界をステージ上で精密に作り上げてきたずとまよだが、55年ぶりに大阪で万博が開催されている期間と重なった今回のツアーでは、2025年のオモテの世界のウラをピンポイントで突いてきた。ステージの幕開け、中盤、そして本編を締めくくるナレーションは、55年前のリアル万博でもナレーションを担当していた石坂浩二氏という周到さ。いや、ただ周到なだけではない。今回の『YAKI YAKI YANKEE TOUR 続「名巧は愚なるが如し」』は、そのナレーションの中でも引用されていた“太陽の塔”の設計者である岡本太郎の「孤独とは絶対に社会的だ」から始まる言葉と、それに時空を超えて応答するかのようなACAねのMCが浮き上がらせていたように、「ずとまよがずとまよであることの理由」がこれ以上なく明解に刻まれた感動的なものだった。



 象徴となる"十六夜月の塔"が中心にそびえ立つステージセットを見て最初に思ったのは、過去のずとまよのアリーナツアーとの違いだ。以前のアリーナツアーでは毎回ステージセットの総体積と物量でまずオーディエンスを圧倒していたが、そして今回のステージでも至る所に立体的な趣向やギミックが凝らされてはいるのだが、あくまでも主役はストリングス隊やブラス隊を含む大所帯のバンドと、彼らが奏でる音楽そのものであることが、各プレーヤーの整然とした配置から伝わってきた。これまでの全力なステージセット、そして楽器が一斉に鳴らされた時の全力な音圧が、アリーナという万単位のキャパシティを埋めたオーディエンスと対峙するための「武装」だったとしたら、今回のステージには百戦錬磨を経て自信と余裕を手中に収めたことで、「武装解除」したありのままのずとまよがいる。そんな印象を受けた。



 時代設定は1970年ということで、いつも以上にセットリストの中で輝いていたのはずとまよ流ディスコチューンの数々だ。イントロから70’sディスコ風にリアレンジされた「消えてしまいそうです」から「ミラーチューン」に雪崩れ込む流れで、早くも序盤に最初のクライマックスがやってきた。ライブ用のリアレンジという点で最も過激だったのは、ブラウン管ドラムによる激しいイントロから始まりノイズギターの向こう側からかろうじて主旋律が聴こえてくる「勘ぐれい」。続いて、前回のツアーでも披露されていた中盤でロカビリー風のダンスブレイクが入るバージョンの「馴れ合いサーブ」を経て、空間を切り裂くように「残機」のイントロのベースが鳴り響いた瞬間、会場全体を揺るがすほどの熱狂的な歓声が上がった。



 ずとまよのライブを観る度に痛感するのは、ツアーの度に“代表曲”が更新されていて、それが現場のオーディエンスのリアクションから手に取るようにわかることだ。今回のツアーでも、終盤の「海馬成長痛」や「TAIDADA」が盛り上がりのピークを次から次へと更新していった。一方、初披露された新曲は、大阪城ホール公演から新たにセットリストに加わった「形」、そして「微熱魔」と「クリームで会いにいけますか」の3曲。いずれも“新たな代表曲”になるポテンシャルを予感させる、流麗な“ずとまよメロディ”が奏でられている楽曲だが、サウンド的にはそれぞれの曲がまったく異なる個性を放っていることに感嘆せずにはいられない。特に、これまでずとまよの楽曲の隠し味としてリファレンスの対象とされていた70〜80年代アイドル歌謡曲の要素が全面的に展開されている「クリームで会いにいけますか」は、ACAねらしからぬフェミニンなアイドル風衣装も相まって新鮮な驚きをもたらしてくれた。



 総勢19人にも及ぶバンドとACAねのステージ上での絡みもツアーを重ねるごとに親密さを増していて、今やお馴染みとなったサブステージに移動しての中盤の寸劇や、ランダムで選曲された後にACAねからのお題でパフォーマンスされる即興コーナーも、ずとまよという音楽集団の“素顔”と“体温”がより伝わるものとなっていた。今この瞬間にもどこかの狭くて暗い部屋で誰かが人知れず何かを生み出している“真夜中”の“孤独”な“活動”から名付けられた“ずっと真夜中でいいのに。”というプロジェクトが、こうして東京のど真ん中の巨大なアリーナで大勢のメンバー、大勢のオーディエンスとともに奇跡のような時間と空間を生み出している。オーディエンスへの長い謝辞を述べた後、アンコールの最後に演奏された6年前の楽曲「眩しいDNAだけ」は、それは自分にだけ起こった奇跡ではなく、誰にでも起こり得る可能性があるのだというACAねからのメッセージだった。



 それにしても、一体どこまでが必然として計算されたもので、どこまでが偶然によって導かれたものだったのだろう? 55年前、科学技術の発展と人間社会の調和を掲げてこの国で開催された“万博”のウラの世界をモチーフとしていた今回の『YAKI YAKI YANKEE TOUR 続「名巧は愚なるが如し」』は、非効率であることを恐れず、グレーであることを厭わず、何か得体の知れないエネルギーに人が突き動かされて未来に期待することができた時代へのオマージュという点で、オモテの世界で再び同じ街で万博が開催されている現代への極めて優れた批評でもあり、何よりもパフォーマンス芸術として恐るべき完成度を誇る作品となっていた。55年前に分岐した世界で、ずっと孤独な夜を過ごし続けてきた先にあったかもしれないもう一つの万博。それは、現在の音楽シーンで中心的な存在にまで上り詰めながら、そこで気高く孤立し続けているずとまよそのものだった。「今となかなか向き合えない時もあるけど、向き合うためにも時間にヒビを入れてみたかった」というMCに続いて本編を締め括った「暗く黒く」。ACAねは、それを「Crack Clock」(時間にヒビを入れろ)と発語した。

(文:宇野維正)
(photo:鳥居洋介)


▼YAKI YAKI YANKEE TOUR 続「名巧は愚なるが如し」プレイリスト
https://lnk.to/YYYT_zoku


 

 

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